Taichi Nishishita
Architect & Associates
Blog

西石井の家・地鎮祭

2018.05.31

「西石井の家」着工です。

建主とは9月に初めて出合い、ようやくここまで漕ぎつけました。わずか24坪の土地に延床面積20坪弱、しかも家族4人で住まう小さな家を建築します。小さいからこそ濃密な設計内容になり、建主にも本当に多くのお力添えを頂きました。地鎮祭を経て、改めて気が引き締まります。

稲荷の家・春の見学会終了

2018.05.07

「稲荷の家」春の見学会も無事終わりました。

今回も本当にたくさんの方にご来場いただき、ありがとうございました。完成して半年してからの見学会ということで住まい手の生活感をそのままお見せする見学会になりました。こういうのもリアリティがあって、良いですね。また、生命力に溢れた春のお庭をしっかりと感じて頂けたと思います。

見学会は終了しましたが、こちらの家はご予約いただければいつでも個別にご案内が可能です。今回来れなかった方、写真を見てご興味を持たれた方などお気軽にお問い合わせください。

上吾川の家・上棟

2018.04.14

「上吾川の家」が昨日無事上棟しました。農地転用もあり、着工までかなり時間がかかりましたが、ようやく。
ツーバイフォー工法ですが、通常スタッドよりあえて短くして階高をぐっと抑えています。軒出は1350mm。潔い佇まいの家になりそうです。

わからないことをわかろうとして、でもわからないまま

2018.03.19

知りたいと思っても、相手がはるか遠く高いところにいるので決してわかることができない。わかることはできないとわかっていても、魅力的に存在しているから知りたくなる。


人は古来、この好奇心と探求心によって多くの思想や芸術をつくりあげてきた。ここが科学との違いである。わかってしまいたくないという気持ちが知りたい気持ちの裏側にいつも存在している。

今、建築は不自由だ。芸術的な側面と科学的な側面を同じくらい持ち合わせてはいるけれど、多くの場合は“わかる”ことが求められる。芸術的な側面は置き去りになり、科学的な側面が重視されていく。“そんなことはない”と思いつつも、世の中が建築に期待することの大半が科学的になっているから、知らず知らずの間にその求められていることに忠実に応える癖がついてしまっている。“わからない”とは言えなくなっている。

建築は果たして進歩しているのだろうか。その問いに関して私は、科学的には進歩しているかもしれないけれど、芸術的には後退している、と応える。

~中略~

様々なことが科学的に解明されてきた現代にあっても、依然としてわかろうと思ってもわからないのが“自然”なのではないだろうか。わかろうとすることは大切だと思うけれど、どんなに科学的な技術を駆使しても決してわかるものではないだろうという認識をもち、自然の前に屈する覚悟と準備が必要なのではないだろうか。

わかることを目的にして急ぐのではなく、わからないことをずっとわかろうとして、でもわからないまま。そんな人の気持ちを肯定したい。人がみなそのことを肯定できるのであれば、建築はもっと自由で穏やかでいられるような気がする。

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上記は尊敬する建築家の文章の引用です。ふと、生物学者であるレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読み終えた時の感覚を思い出します。

建築にできることは何か、建築の役割とは何か。常に問い続けなければならないと思う。

春の訪れ

2018.03.18

ようやく椿が咲いた。
苔を小鳥がむしって困った(餌になる虫がいるのかな?)。
小鳥が木の実を食べているのを眺めている。
鳥の巣箱をつくろうか。
ギボウシはまだ出てこないかな?

庭を持ち、豊かな暮らしが始まっているようです。
春ですね。

事務所の朝

2018.03.06

事務所の朝。時折訪れる幻想的な風景。
冷たい朝の空気がなんとも心地よい。

形にする

2018.02.25

クライアントと共にものづくりの現場へ。作り手の現場や想いに触れる中で何かを感じ取ってもらいたいのと、体験を共有することで今後の打ち合わせに良い作用が働くよう願って、ご案内しました。

片道二時間弱の車中でポツリポツリとお話しできた色々な事。きちんと受け止めて形にしていきたい。

ラフスケッチ

2018.02.19

人に見せるつもりもない、自分が考えるためのスケッチが建主に好評だったりする。

人に見せようと意識すると、どうも線が固くなってしまうので、ラフなスケッチの方が僕も好きだ。

散歩

2018.02.15

ここのところ、現調の際に対象となる敷地に滞在する時間よりも、その周辺を散策する時間の方が圧倒的に多くなりました。周囲の街並みとか、点景、街の空気感、光の質感など感じ、ぼんやりとイメージを膨らませながらしながら散歩します。この「散歩」が具体的に設計の何に繋がっているのか、表現するのは難しいですが、なくてはならないものという確信は間違いなくあります。

設計は些細なディティールの積み重ねですが、建築の「質」とか「考え方の方向性」など、もっとぼんやりしたものの中に本質が隠れているように思います。

設計が具体的になるにつれ、些細な部分に捉われ、大きな方向性を見失いそうになる時があります。建築はつまるところ「全体感」が最重要。現調の度に、ふと我に返ります。

薪ストーブ

2018.02.06

昨夜のこと。引き渡しを終えた「稲荷の家」にて薪ストーブの取材がありました。久しぶりにお邪魔しましたが、生活感が出てきてホッとする空間になっていました。そして温かい。。。朝でも20℃前後の室温になっているようです。

工事中の現場も楽しいですが、こういった住み始めてからの姿を見るのも良いものです。またお邪魔させていただきます。

家に仕える

2018.01.26

本来「施主」と言うのは施す主と言う意味ですからそう呼んでしまうと、施しを受けていることになってしまうわけで、僕としてはちょっと釈然としない思いが残るのです。僕がクライアントという言葉を使うのは、施しを受けているわけではなく、あくまで依頼を受けてやっていると考えたいからです。

で、もし、「施主的な存在」があるとすれば、それはこれからできる「家」だと考えています。普通は施主が1番上にいて、その下に設計者がいて、さらにその下に工務店がいて、職人がいるという具合に、上下のヒエラルキーができるわけですが、僕はそういう上下関係ではなく、クライアントも設計者も職人衆もみんな横並びとなって、自分たちが作ろうとしている「家」に仕えて、力合わせてやっていくというのが理想の形だと考えています。

尊敬する建築家の言葉です。本当にその通りだと思います。「家に仕える」という精神を持って、建築に取り組んでいきたい。

住まいは人を現わす

2018.01.13

新規の建主さんのヒアリングに引っ越し間際の「稲荷の家」を借りさせていただきました。少しずつ住まい手の生活の品々が納められている様子にほっとしました。ちょっとした小物など随所にセンスが光り、この住まい手あってこその、この家だなと実感した次第です。

住まい手の個性や建築に対する価値観は家そのものに現れます。今、いくつか基本設計の案件を抱えていますが、この価値観の共有が一番大切だと、改めて肝に銘じています。