Taichi Nishishita
Architect & Associates
  • 鳥ノ木の家

    House in Torinoki
    2022

  • 60代の両親のための終の住処。

    敷地は南面道路に巾広く接道しているものの、道路の向かいには住宅が建て並んでおり、単純に南面に依存するだけでは安心感が得られない。どこか身体的なスケールに欠けたこの敷地のなかに、いかに小さな人間味のある空間を生み出せるだろうか。

    この場所の南向きの開けた光は強い「正」のエネルギーを持つ一方、ありのままに生活に受け入れるにはどこか晒され過ぎている。「静」を求める日常においては、「正」のエネルギーは感じつつも、それらと少し距離をとり、穏やかに過ごすことができるようにと考えはじめた。

    まず、敷地全体に1枚の大屋根を掛け、通りに対して低く構える。全体の骨格として守りの環境をつくる。その基本的な骨格を維持しつつ、中間領域を整えていくことにした。

    老後の住まいのシーンとして、例えば、孫を含めた子世帯が集まるといった活動的なひと時は幸せなハイライトである一方、日常はあくまで静かに穏やかに過ごしたい。暮らしの中にはシーンに応じた「気持ちのグラデーション」が生まれるものだ。

    光を柔らかく拡散するルーバー板塀、緑陰と木漏れ日をもたらす庭、軒下、複数の建具で内外の繋がり方を調整できる大開口、土間、そしてメインの居場所となるLDK。

    「活動的な窓辺(土間)」と「奥の静かなソファコーナー(LDK)」という対の関係の間には、多層のレイヤーが内包され、グラデーショナルな繋がりが生まれている。

    そして、住まい手が暮らしの中で生じる気持ちのグラデーションに応じて、無意識に心地よい居場所に導かれることを期待している。

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    延床面積は24坪弱となるべくコンパクトになるように計画したが、庭・土間・LDKが一連なりとなった空間は体感的にはゆったりと感じられ、決して窮屈ではない。

    量(面積)より質(空間体験)を重視することは、老後の暮らしやすさに直結していくはずだ。

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    住まいとは「繰り返し」の動作の受け皿とも言える。
    終の住処での暮らしのなかでの「上質」とは一体何を指すだろう。
    それは日々の何気ない繰り返し動作の一瞬の狭間にある、一瞬のゆとりではないだろうかと思うようになった。

    庭木に水やりを終えた後の朝日に輝く水滴。
    窓一面の眩しいばかりの新緑。
    土間からの反射光に包まれる美しい天井。
    一度として同じ模様の無い、窓に切り取られた北の空。
    冬の低い陽射しと木漏れ日が差し込む土間。
    薪ストーブの炎がはぜる音。

    これらはすべて一瞬の出来事だが、
    日常に静かで芳醇な輝きをもたらしてくれる。

    穏やかで平凡に見える日々の暮らし。
    しかし、よく観察すると世界は如何に変化に満ち満ちていることか。
    なんでもない日々の暮らしが一番幸せに感じられますように。